兵庫運河・七福神・和田岬線

■兵庫運河

兵庫運河は明治32年(1899)に完成した日本最大の運河という。兵庫の町は「兵庫津」と呼ばれ、古くから港町として栄えてきたが、和田岬が船の難所だったため運河の築造が土地の豪商により計画されたそうだ。
明治7年(1874)に着工したが工事は難航し、2年後に船舶の避難地としての新川運河だけが完成した。その後、和田岬を迂回するバイパスとして工事が始まり、明治32年に兵庫運河全体が完成、民間活力によりこの一大事業が成し遂げられたということだ。
東側の新川運河、中央の兵庫運河、南西部の狩藻運河の3つの運河がある。

運河の近くに住む友人に何度か道案内をしてもらって歩いてみた。七福神あり、スタジアムあり、由緒ある歴史史跡あり、そして和田岬線も走っている。2008年から2010年にかけて歩いた時の写真だが、まだまだ見ていないところもたくさんある。

兵庫運河 兵庫運河
兵庫運河の昼と夜(2009年10月撮影)

レガッタの絵 レガッタ競争 レガッタ競争
倉庫の壁に描かれたレガッタ レガッタ競争 レガッタ競争
(2009年10月撮影)


防潮堤水族園 防潮堤水族園

「防潮堤水族園(ぼうちょうていすいぞくえん)」
防潮堤に魚などの絵を飾ったギャラリーで
須磨水族園のキャラクター(イラストレーター山崎さんデザイン)や
地域の人たちから公募したデザインをもとにつくったもの。
数えたら100枚ほどあった。(2009年9月撮影)



スタジアム スタジアム 市電

「ホームズスタジアム神戸」
ヴィッセル神戸のホームスタジアム。
レガッタ競争をする運河の南側、地下鉄海岸線御崎公園駅より徒歩5分ほどの所にある。
サッカー好きの友人夫妻はよく来ているようだ。
敷地内に市電の車両が置かれている。
昭和46年に市電が廃止され、広島電鉄に移譲されたが
老朽化による廃車を機に旧神戸市電和田運輸事務所のあった当地へ里帰りとなった。
(2009年5月撮影)



清盛橋 「清盛橋(きよもりはし)」
橋の欄干には源平合戦のレリーフがはめ込まれている。

レリーフ レリーフ レリーフ
源平合戦のレリーフ、3種類あった。(2009年10月撮影)


石塔、石像、石碑 橋北詰の交差点の北東に兵庫住吉神社があり
その境内に十三重の石塔と石像、石碑が並んでいる。
(清盛塚、清盛像、琵琶塚)
(2009年10月撮影)

交差点から見た清盛塚 平清盛像 琵琶塚
交差点からみた清盛塚 平清盛像 琵琶塚


キャナルプロムナード キャナルプロムナード

「キャナルプロムナード」
新川運河の水際に整備された約300mの遊歩道(2009年10月撮影)

兵庫城跡 「兵庫城跡」
キャナルプロムナードの散歩道を歩いていると
兵庫城と兵庫県庁の碑があった。
戦国時代に池田信輝と輝政父子がここに兵庫城を築いたが
豊臣家の滅亡とともに城郭としての機能は廃止された。
城の跡が最初の兵庫県庁となり
伊藤俊輔(のちの伊藤博文)が初代の県知事として赴任したそうだ。


大輪田橋 「大輪田橋(おほわだはし)」
大輪田橋は1924年の竣工以来、2度大きな災害にみまわれた。
1945年の神戸大空襲と1995年の阪神淡路大震災だ。
震災では親柱(飾り橋)が崩れ落ちたが、損傷の少なかった
親柱を修復し、モニュメントとしてそのまま残されている。
上部には戦災と震災のあった冬の星座があしらわれている。
(2009年10月撮影)

大輪田橋 大輪田橋
手前は壊れた親柱 修復された親柱

大輪田水門 大輪田水門 大輪田水門看板
キャナルプロムナード(新川運河側)
から見た大輪田水門
大輪田橋(兵庫運河側)
からみた大輪田水門
水門の看板


入江橋 「入江橋(いりえはし)」
キャナルプロムナードを通って本町公園の方へ歩くと
新川運河をまたぐ入江橋がある。(2009年10月撮影)

泳ぐボラ 清盛さん 停泊中の船
ボラも泳ぐ新川運河 笑顔で見守る清盛さん 新川運河に停泊中の船


大輪田泊の石椋 「大輪田泊の石椋(おおわだのとまりのいわくら)」
大輪田泊は兵庫区にあった港。
この花崗岩の巨石は、昭和27年の新運河浚渫工事の際に発見され
古代大輪田泊の石椋の石材だったと推定されます。−案内板より
(2009年10月撮影)


「築島橋(つきしまはし)」
(2009年10月撮影)
築島橋

築島水門 築島水門 築島水門看板
築島水門(つきしますいもん) 築島橋と水門 築島水門看板

築島橋から見える海
築島橋から見える海


■兵庫七福神(ひょうごしちふくじん)

港町として栄えてきた兵庫津は、西国街道の要所でもあり海路、陸路を通じて多くの神様がこの地に集まったそうだ。
福を呼ぶ神様七か所を巡礼することで、「七難即滅・七福即生」つまり七つの災難から逃れ、七つの福徳が授かるといわれ、江戸時代から庶民の間で大ブームになったとのこと。(2009年10月撮影)

和田神社(わだじんじゃ)−弁財天

和田神社 「和田宮さん」と呼ばれ
海路、交通安全の守護神として
親しまれている
和田神社

鳥居 和田神社境内
鳥居 和田神社境内


薬仙寺(やくせんじ)−寿老人

薬仙寺 行基の開山といわれている。
寺に湧いた水が後醍醐天皇の頭痛を癒したとの
故事からこの寺名がある
薬仙寺

清水 震災モニュメント
清水が湧いた場所 震災モニュメント
震災で壊れた大輪田橋の一部


真光寺(しんこうじ)−福禄寿

真光寺 「おどり念仏」で有名な一遍上人が亡くなった寺
真光寺

石造り五輪塔 石造り五輪塔

一遍上人御廟 一遍上人御廟 看板


能福寺(のうふくじ)−毘沙門天

能福寺兵庫大仏 延暦24年(805)最澄が薬師如来像を安置して
日本最初の教化霊場にしたことに始まるといわれる
天台宗の寺院
能福寺

兵庫大仏
「兵庫大仏」
奈良、鎌倉とともに日本三大仏の一つと書いてあった。
初代は戦時中に供出され、現在は二代目とか。

能福寺 兵庫大仏
平清盛の廟所の説明板 兵庫大仏


柳原天神社(やなぎはらてんじんじゃ)−布袋

柳原天神社 須磨の網敷天満宮とともに
菅原道真ゆかりの神社
柳原天神社

柳原天神社 かえるまた
柳原天神社 かえるまたの牛

見学していたら神社の人が出てこられ、いろいろ説明をしてくれた。
「かえるまた」に牛の彫刻は珍しいでしょうと言われる。
かえるまたとは何か後で調べたら
屋根の荷重を柱や梁に効率よく伝える構造材で、装飾を兼ねているそうだ。
かえるが足を広げたような形をしていることからかえるまたと呼ばれている。

牛 七福神の石像
おなじみ天神さんの牛 七福神の石像、全員集合


柳原えびす神社(やなぎはらえびすじんじゃ)−蛭子

柳原えびす神社 福の神として古くから崇敬されてきた
神社のひとつ
柳原えびす神社

柳原えびす神社 柳原えびす神社
柳原えびす神社、神楽殿 柳原えびす神社

えびす像
えびす像


福海寺(ふくかいじ)−大黒天

福海寺 釈迦如来を本尊とする禅宗南禅寺派寺院 福海寺

太平記合戦図 「時雨の松」の碑
太平記合戦図 「時雨の松」の碑


■川崎重工兵庫工場

こだま

こだま こだま
「特急こだま」
川崎重工業兵庫工場、車両本館でこだまを公開展示するという記事を見た。
東京−関西間の日帰りを初めて可能にしたビジネス特急「こだま」の満50歳を記念した行事だ。
この181系は1958年に兵庫工場で製造され、新幹線開業後引退。
兵庫工場に保存されていた。
展示してある本館のそばに運河があり
案内してくれた友人が兵庫運河が好きでいろいろ教えてくれ
それから何度も通うきっかけになった。(2008年10月撮影)


0系新幹線とこだま 0系新幹線とこだま
「並ぶ昭和の超特急」
初代新幹線の「ひかり」などとして活躍した0系の先頭車両が
さよなら運転のあと、生まれ故郷に戻ってきた。
「こだま形」車両と「初代新幹線0系」が仲良く並んでいる。
(2009年9月撮影)


川崎重工兵庫工場 公道と引き込み線
川崎工業兵庫工場 公道を引き込み線が横切る

桃太郎 工場内の桃太郎 新幹線車両
桃太郎 工場内の桃太郎 製造中の新幹線車両


■和田岬線

和田岬線(わだみさきせん)は神戸市兵庫区にあるJR西日本山陽本線の視線で、兵庫駅−和田岬駅を結ぶ2.7kmの路線だ。
元々、鉄道建設のための資材輸送をしていた。その後は貨物輸送が行われていたが、現在は鉄道車両輸送を除いて貨物輸送も廃止され、朝夕通勤客を対象に列車が走行するのみとなっている。
兵庫運河を渡る小さな鉄橋(和田旋回橋)は、船舶の航行のための旋回橋だが、現在は動くことはないそうだ。

和田岬線ホーム 兵庫駅駅票 兵庫駅車止め
和田岬線兵庫駅ホーム 和田岬線兵庫駅駅票 兵庫駅車止め
(2009年10月撮影)


和田岬線列車
和田岬線列車
列車 列車 列車
鉄橋を渡る列車

鉄橋
鉄橋(和田旋回橋)
後ろに見えるのは住吉橋

和田岬線線路 和田岬線列車
和田岬線線路 和田岬駅に入る列車
(2009年10月撮影)


和田岬駅 跡地建築中 入口
和田岬駅(2009年5月撮影)
2009年8月に駅舎は撤去
跡地にコンビニ建築中
(2009年10月撮影)
入口
ここからホームへ入る
(2009年10月撮影)

車止め 駅名標 ホーム
車止め 和田岬駅駅名標 和田岬駅ホーム
(2009年5月撮影)


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