興福寺

興福寺(こうふくじ) 奈良市登大路町

興福寺は、平成22年に創建1300年を迎えるとのことで、2007年9月訪れた時も境内の整備中でした。現在の中金堂も解体されて、創建当初の中金堂を再建するそうです。五重塔の前にも工事の車が止まっており、地面も掘り返していました。近鉄奈良駅からは歩いて7分ほどですが、車で来たので県庁前駐車場に入れて東大寺、興福寺と歩きました。

興福寺五重塔
興福寺五重塔
建立:西暦1426年頃、高さ50.1メートル

興福寺五重塔

五重塔は天平2年(730年)、光明皇后(藤原不比等の娘)が創建しましたが、5回の消失・再建をへて応永33年(1426年)頃再建された日本で2番目に高い塔です。



興福寺五重塔

初層

4天柱の各方、東南西北に薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が安置されています。



興福寺東金堂

東金堂(国宝)

興福寺は法相宗大本山の寺院。藤原鎌足、不比等ゆかりの寺で、古代から中世にかけて強大な勢力を誇りました。1998年に「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。外に東大寺、薬師寺等もあります。
本尊は薬師如来、境内は自由に散策できます。国宝館は入館料500円でした。



阿修羅(絵葉書)

国宝阿修羅像(ポストカードより)奈良時代、像高153.4センチ

国宝館の阿修羅像のまえの説明文より
〜阿修羅は三面六臂、上半身裸、上帛と天衣(じょうはくとてんね)をかけ、胸飾り、臂、腕釧(わんせん)裳をまとい、板金剛を履く。〜

(ポストカードをデジカメで撮ってトリミングしてみました)



阿修羅

〜阿修羅は八部衆の内の一つで他は守護神としての性質上武装している。阿修羅は梵語のアスラの音写。太陽神ではあるが、インドでは大地をひあがらせる太陽神で常にインドラ(帝釈天)と戦う適役の悪の戦闘神であり、西域では大地にめぐみを与える太陽神といわれている。なぞの多い神だがシャカの教えにふれ、仏法の守護神となった。〜



国宝金剛力士像(鎌倉初期)、檜材寄木造

金剛力士像がプリントされたクリアファイルを買って帰り、デジカメで撮ってみたけど光が反射してうまく撮れませんでした。やっぱりスキャナほしいなと思いつつ、なかなか買えませんでしたが、12月思い切って購入。さっそく夜ためしてみました。クリアファイルに白い紙をはさんでスキャナに入れます。ちょっと暗いけど仕方ないですね。
金剛力士は別名仁王(におう)ともいい、寺門の左右に立って寺地や仏法を守る役目があるそうです。「阿形(あぎょう)」「吽形(うんぎょう)」というのも、「あ」は全ての始まりで口を開き、「ん」は全ての終わりで口を閉じています。阿吽(あうん)の呼吸というのはこのことなんだと、また一つ教えてもらいました。

下の写真クリックしたら大きな写真にとびます

金剛力士阿形像 金剛力士阿形像後姿 金剛力士吽形像 金剛力士吽形像後姿
金剛力士阿形像 金剛力士阿形像
後姿
金剛力士吽形像 金剛力士吽形像
後姿

春の興福寺

2009年4月、久しぶりに興福寺を訪ねました。一昨年来たときは工事中で五重塔には近づけなかったので、今度はどうだろうと期待しつつ。
現在境内は発掘整備中で、中金堂や南大門は再建計画中とのこと。五重塔のまわりは整備が済んでいました。
残念だったのは、今阿修羅像やほかの国宝が東京に行っているということです。テレビで見ましたが、照明も凝っていて、一回りできるように置かれていました。ここではガラスの向こうに立っているので背中は見えません。

興福寺東金堂と五重塔
国宝、興福寺東金堂と五重塔

五重塔

五重塔に限らず、建物を撮るときに逆光でなくても真っ黒に写ってしまいます。
デジカメをうまく撮る方法という本を読んでみたら、露出を変えて撮るといいらしいです。
それで撮ってみましたが、緑の木々が秋の落葉寸前のような色になり、空も白に。
画像の編集で色を濃くしたらこの上と左の2枚の写真のようになりました。





南円堂 さるさわの池より見える五重塔
南円堂 猿沢の池より見える五重塔


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