余部鉄橋

2008年3月とうとうきました、余部(あまるべ)鉄橋に。和田山から豊岡市内を抜けて国道178号線に入り、しばらく走る。新しい「香住道路」というのが見えたが、古いナビはこれを無視して海岸線を走らせてくれた。海を見ながら迷い、ずいぶん遠回りをし、歩いている高校生に聞いてまた戻る。山道をくねくねと下って行きながら、そろそろだと思っていたら、目に赤い鉄橋が飛び込んできた。写真で見るとおりではありませんかなんて、当然のことですね。

余部鉄橋

山側から見える余部鉄橋

余部鉄橋
この鉄橋は、明治45年(1912年)に2年の歳月と33万余円の巨費、延べ25万人の人夫を投じて完成された。建築様式はトレッスル式鉄橋である。トレッスル(橋脚部分)の資材は、アメリカより送られて来て余部沖でハシケに移し陸揚げされた。山陰本線敷設では最大の難工事であり、この鉄道の完成により事実上の山陰本線の開通となった。(明治45年3月)
高さ41メートル、長さ309メートルの規模は当時、東洋一としてデビューしたが現在でもトレッスル鉄橋では日本一の規模を誇っている。 昭和61年12月の折からの強風による、列車転落事故は人々を震撼させた。犠牲者の方のご冥福をお祈りします。
尚、平成18年秋から約5年間かけて架け替え工事をし、平成23年にコンクリート橋に引き継がれます。ー看板より

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鉄橋 鉄橋 石
余部鉄橋 海辺から見た鉄橋 モニュメント

鉄橋と列車 鉄橋と畑
豊岡方面行き列車 鉄橋と畑

海と鉄橋と列車 鉄橋とトンネル トンネルの手前の踏み切り
海と鉄橋と列車 鉄橋とトンネル 踏み切り

余部駅建設に従事する地元の子どもたち
明治45年3月に山陰本線が開通しても、ここには長い間、駅がありませんでした。余部の人々は駅ができるまでは、香住・浜坂方面に行くために余部鉄橋をわたり、4つのトンネルを抜けて鎧駅まで歩いて行かねばなりませんでした。
そこで、余部の人々が昭和30年頃から当時の国鉄に強く働きかけ、さらに余部小学校児童も当時の県知事に駅設置を願う手紙を書くなどした結果、ようやく余部駅ができることとなりました。駅の建設が始めると、余部の子どもたちは、大人と一緒に力を合わせ、海岸から石を運び、駅までのホームを造り上げました。そして、昭和34年4月に念願の余部駅が完成したのです。ー看板より
餘部駅

海辺の町から山道を上ってきたら駅です。
5分ほどの道のりだけど、夏は大変そう。

駅の「あまるべ」は「餘部」と書くようだ。姫新線に「余部駅」というのがあり、これは「よべえき」と読む。

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駅までの階段 駅票 ホーム
鉄橋の下を通って駅に上る 駅票 ホームから鉄橋を見る

撮影ポイントへの階段 ポイントまでの小道 ポイント広場
撮影ポイントへの階段 ポイントまでの小道 広場にたててある時刻表

列車が通るまでしばらくこのポイント広場で待っていた。日陰になるのでだんだん寒くなってくる。りっぱなカメラを持っているおじさまや、お兄様たちの中でおばさん一人、ちょっぴり恥ずかしかったな。
この撮影ポイントも春休みの間ぐらいは開放してくれるようだが、それからはもうあがれなくなるとの事。工事のじゃまになるのだろうね。


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